• 政府は、私たちに70歳まで働くように推奨している
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  • 多くの人が70歳前後まで働きたいと希望しているのだ
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  • ところが、企業の方はどうだろうか…実質的には45歳定年制、否、40歳定年制かもしれない
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 政府は、私たちに70歳まで働くように推奨している。

 2019年5月15日、政府は高年齢者雇用安定法改正案の骨格を発表した。

20年の通常国会での成立を目指すという。

 改正の骨子は、現行65歳まで義務付けている雇用を70歳まで引き上げることを、各企業の努力目標とする。

そのために、企業に継続雇用や他企業への再就職支援を求めるというのだ。

 この背景には、財政難による年金支給開始年齢の引き上げなどがあると思われるが、国民の側にも元気な高齢者が増え、働き続けたいという意欲が高まっていることも事実だ。

◆政府に面従腹背  野村総合研究所グループのNRI社会情報システムによるシニア世代の就業意識調査によると、「55歳から59歳の正社員は69.6歳まで、パート・嘱託は70.0歳まで、60歳から64歳の正社員は70.3歳まで、パート・嘱託は69.8歳まで働きたい」と答えている。

 多くの人が70歳前後まで働きたいと希望しているのだ。

ところが、企業の方はどうだろうか。

 年金財政の悪化のツケを企業に回されてはたまらない(?)とばかりに、政府の方針に対して面従腹背の様相を呈している。

 実質的には45歳定年制、否、40歳定年制かもしれない。

そう考えざるを得ないほど、特に中高年正社員のリストラを加速しているのだ。

 ところで、8年も前のことだが、韓国に取材に行き、その際、リストラに関して衝撃を受けたことがある。

 韓国では「サオジョン」という言葉がはやっていた。

これは45歳定年制の意味で使われていた。

 韓国企業の定年は60歳だが、45歳になると肩たたきが始まっていたのだ。

ところが、韓国には関係会社への再就職あっせんなどがないらしく、多くの人がチキン店を開業していた。

 チキン店というのは、鶏の空揚げとビールを提供する店で、それを教えてくれた人によると「大した技術や資本が要らないために、多くの早期退職者が選択する」とのこと。

私は、その話を聞き「過酷だな。でも、これはあすの日本の姿だ」と予想した。

◆表向きは活性化  私の予想(懸念だが)通り、わが国でも「日本流サオジョン」が一般的になってきた。

日本経済新聞(2019年12月8日)に「中高年社員、戦えますか」という特集記事が掲載された。

その内容は次の通り。

 「2025年には労働力人口の約6割が45歳以上になる。バブル期の大量採用などで中高年社員の層は厚く、50歳を過ぎて管理職になれない人材がこれまで以上に出てきている」として、各企業は中高年社員のやる気を持たせるべく手を尽くしている。

 特集では、日清食品、ソニー、丸紅などの中高年社員活性化策が紹介されているが、記事からは前向きな感じは受けない。

「ヒラ中高年」という言葉が使われているからだ。

 終身雇用、年功序列という、かつては称賛された日本型雇用の弊害で生み出された大量の「ヒラ中高年」の活性化が経済成長の大きなテーマとは! 悲しい。

活性化とは表向きで、リストラしたいという本音がアリアリだ。

 そんなに日本型雇用は悪いのか。

みんなで幸せを分かち合い、社内での勝ち負けをはっきりさせず、チームワークで勝利をつかむ。

第一は雇用の「安心」ということだ。

これがあるから、ある年齢になれば結婚し、子どもを生み育て、住宅ローンを組み、子どもの教育に投資をする。

この「安心」を前提としたシステムが日本経済を支えてきたのは事実だ。

 それが駄目だといわれるようになったのは、やはり韓国と同じで、日本にもグローバル経済の津波が押し寄せたからだ。

社員の採用もグローバル化し、IT化による省力化などによるポスト不足など、今までなかった問題が顕在化してきたからだ。

 今や、経団連会長もトヨタ自動車の社長も終身雇用は維持できないと言い放つ事態となった。

◆黒字でもリストラ  政府は、70歳までの雇用を奨励するが、管理職にもなれない人材を長く社内にとどめておくほど企業にはゆとりがないのが実態だ。

多くの企業で、今までは非常時の制度と考えられていた早期退職制度が常態化している。

 最近の記事を拾っただけでも、大手メガバンクはもとより、NEC、セブン&アイ・ホールディングス、富士通など経営が順調と考えられている企業のリストラ計画が目立つ。

※詳細はソースをご覧下さい
元スレ:2ch.sc

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「70歳まで雇用」を奨励する政府と「40~50代リストラ」を加速させる企業|働き方改革

<歳三の最期>歳三は榎本武揚に従い北海道へ渡る。函館の五稜郭を占拠し箱根政府を樹立、歳三は陸軍奉行並となり新政府軍を迎え撃つが1869年5月、五稜郭の戦いの激戦の中で腹部に銃撃を受け命を引き取った。https://t.co/xi4BrlAyIW

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